アメリカに来て間もない頃、Boston在住の伯母に貰った本がある。So Far From Bamboo Grove 邦題 – 「竹林はるか遠く」という本で、著者が終戦時に現在の朝鮮半島から命からがら日本に逃げ帰った時の体験談だった。
なぜ、伯母がこの本を僕にくれたかというと、本の著者のヨーコ.・カワシマ・ワトキンス氏と知り合いだったからだ。ワトキンス氏と直接お目にかかったことはないが、僕宛の直筆のメッセージも書いて頂いていた。伯母からの配慮である。本は日本の実家に置いてあるので、メッセージの内容ははっきり覚えていないが、温かみのある彼女の人柄が感じられるものだったと記憶している。
そして月日は流れ、ある日、韓国のニュースサイトでこの本に関する記事を見て驚いた。「被害者と加害者を入れ替えている」と強い口調で非難しているのだ。日本人の自分からすれば特に韓国、朝鮮人を非難する内容などという内容ではまったくない。ワトキンス氏だってそのようなつもりで書いた気持ちは毛頭ない筈だ。それどころか親切な朝鮮人の話も出てくる。むしろ彼女の批判は当時の日本社会に向けられている。
しかし彼らの主張するところによると、朝鮮半島にソ連軍、朝鮮人の共産党軍による日本人に対する略奪、強姦の記述がありそれが気に入らないということらしい。なるほど確かに韓国人からすればあまり気分がいいものではないだろう。ただ、それは作り話ではなく実際の体験記なのである。一部の旧日本軍も略奪を行ったかもしれないが、ソ連人、朝鮮人、中国人だって行っているのだ。満州で日本の敗戦が決まった後、日本人に対する略奪行為があったことも事実なのである。
聞けばその本は在米韓国人たちの抗議によって公立学校の教科書から外されたらしい。Bostonの伯母に聞いたところによると、当時11歳だった子供の記憶は信憑性がないからというのが彼らの主張だったらしい。ワトキンス氏は「私は本当に体験したことを書いただけ」と記者会見まで開いたようだ。しかしその場で「でたらめだ」とアメリカ人の反日活動家につめよられたとか。お気の毒としか言いようがない。
抗議した在米韓国人は「子供の記憶は信憑性がない」という理由で教科書から外すように求めたというが、「被害者と加害者を入れ替えているのが気に入らないからだ」とは言わなかった。もちろんそのような理由ではアメリカの機関を納得させられなからである。彼らの行動は韓国のメディアで英雄的行動として取り上げられたという。
自分たちが書かれて気分が悪いものは排除するように求め、その一方で「慰安婦の像」のようなものを建てようと活発に活動している。彼らにとって日本は「悪」で自分たちは「被害者」であり、これは彼らの絶対的前提条件なのだ。まさしく思考停止状態である。疑問を持つ韓国人もいるというがそれを口に出すと韓国人として「非国民」扱いされるのでみな黙っているそうだ。もっとも日本人も似たようなものだが。
「従軍慰安婦問題」は吉田清治なる人物が朝日新聞に語ったことが発端となり、朝日新聞は2014年にそれを創作だったことを認めている。今では日本人の多くは事実だと思っていない。韓国では反日の行動は愛国心に基づいた英雄的行動と解釈される。彼らは被害者だから加害者の日本には何を言ってもいいと思っているのである。これが現実なのだ。教育とは恐ろしいものである。このような世界にいることを日本人は認識すべきだ。
歴史に興味を持つ程、一方的な加害者、被害者で説明できるほど単純なものではないことが分かる。彼らの主張する一方的は被害者意識が正常ではないことが分かる。日本人の子孫として生きていく子供達にはそのことを伝えなければならない。
最後に、僕はアメリカで今まで多くの韓国人と会い、彼らといい時間も共有してきた。その中で日本人と韓国人の国民性の違いも見てきた。この問題は彼らと築いた友人関係とは切り離して考えている。意外にも韓国人は日本人と感覚が近い部分があるというか、日本人以外でもっとも仲良くなりやすいと感じている。しかし友人関係は築けても歴史の問題はお互い譲れないことも分かっている。これが現実なのだ。